「いいわけ」の真実:シャ乱Qの名曲から読み解く人間心理
現代社会において、誰もが大小様々な「言い訳」を抱えながら生きています。
日常生活における遅刻の言い訳から、人生の岐路における重要な決断まで、言い訳は私たちにとって切っても切り離せない存在です。
今回、私が注目したのは、シャ乱Qの代表曲「いいわけ」。
1995年にリリースされ、ミリオンヒットを記録したこの曲は、多くの人の共感を呼び、今なおカラオケの定番曲として愛されています。
本記事では、「言い訳」の専門家として、シャ乱Q「いいわけ」の歌詞を徹底的に分析し、その背景にある社会現象や人間の心理に迫ります。
単なる懐メロ紹介に留まらず、現代社会における言い訳の役割や意味を再考するきっかけとなることを目指します。
シャ乱Q「言い訳」が生まれた時代背景
「いいわけ」がリリースされた1995年は、バブル崩壊後の「失われた10年」と呼ばれる時代でした。
経済の停滞、雇用不安、将来への不透明感など、社会全体が閉塞感に覆われていました。
このような時代背景の中で、「いいわけ」は多くの人々の共感を呼びました。
シャ乱Qの代表曲の一つである「いいわけ」は、失恋、孤独、人生の不満など、誰もが経験しうる感情を赤裸々に描き出し、多くの共感を呼んできました。
この楽曲の特筆すべき点は、歌詞全体を通して「言い訳」という行為に焦点を当て、人間の弱さや葛藤を浮き彫りにしていることです。
「言い訳」という視点からこの楽曲を深く掘り下げ、その魅力を改めて考察していきます。
孤独を拒絶する「言い訳」叫び
「淋しい夜は ごめんだ / 淋しい夜は つまんない / 淋しい夜は 会いたい / 淋しい夜は CRY CRY CRY」という冒頭のフレーズは、孤独に対する切実な叫びです。
「ごめんだ」「つまんない」という言葉には、孤独を拒絶し、受け入れたくないという心理が表れています。
これは、孤独という現実から目を背けるための「言い訳」とも解釈できます。
過去の恋愛と自己憐憫「言い訳」 回想と独白
「こんな女は 二度といないと / 夢中でほれた ほれまくった女に / 逃げられたりした」というAメロでは、過去の恋愛における失敗が語られます。
「こんな女は二度といない」という言葉は、失恋の痛みを和らげ、過去の恋愛を美化しようとする「言い訳」です。
また、「夢中でほれた」という強調は、失恋の責任を自分以外に転嫁しようとする意図も読み取れます。
「僕がいなくなりゃ 誰が泣くかな / 寝る前 たまに こんなバカな事とか / 考えたりした」というBメロは、自己憐憫の表現です。
「僕がいなくなりゃ誰が泣くかな」という問いかけは、自身の存在意義を確認しようとする行為であり、孤独を紛らわせるための「言い訳」と言えるでしょう。
孤独の普遍化と男女論「言い訳」 問いかけ
「LONELY 誰も孤独なのかい / LONELY 僕はひとりかい / LONELY 君も孤独なのかい / LONELY 君はひとりかい」というサビでは、孤独を普遍的なものとして捉えようとしています。
「誰も孤独なのかい」という問いかけは、自身の孤独を一般化することで、孤独を受け入れやすくしようとする「言い訳」と解釈できます。
「男なら 負けてやれよ / 女なら 感じろ / 男なら カッコつけろ / 女なら 見ぬけよ」というCメロは、男女の役割について語っていますが、これは自身の不甲斐なさを覆い隠すための「言い訳」とも考えられます。
「男なら〜」という言葉は、理想の男性像を語ることで、現実の自分とのギャップを曖昧にしようとしているように聞こえます。
正当化する「言い訳」浪費とコンプレックス
「バイトでためた 貯金はたいて / 偶然ほれた 遊びなれた女に / 服 買ったりした」というDメロでは、過去の恋愛における後悔の念が吐露されています。
お金を使ってしまったことに対する後悔は、過去の自分の行動を正当化しようとする「言い訳」とも捉えられます。
「あいつみたいな 顔に生まれりゃ / きっと楽しい 人生のはずなんて / 考えたりした」というEメロは、容姿に対するコンプレックスを語っています。
これは、自身の不遇を容姿のせいにしようとする「言い訳」と言えるでしょう。
「いいわけ」という自覚
「いい男には 勝てないなんて / いいわけだよね ああ」というFメロで、初めて「いいわけ」という言葉が直接的に登場します。
これは、それまでの歌詞全体が「いいわけ」であったことを示唆しており、楽曲のテーマを明確にしています。
「いいわけ」を通して見えてくる人間像
「いいわけ」は、様々な「言い訳」を通して、人間の弱さや孤独、後悔といった感情を描いています。
しかし、最後に「いいわけだよね」と自覚することで、それまでの「言い訳」を否定し、聴き手に問いかけるような構造になっています。
この点が、この楽曲の魅力であり、単なる自己憐憫の歌に終わっていない理由と言えるでしょう。
聴き手は、この楽曲を通して、自分自身の中にある「言い訳」と向き合い、人間という存在について深く考えるきっかけを与えられるのではないでしょうか。


